小夜時雨

Subaru Takeshima

光が闇を青く染める。
月と星は雲の流れに隠れ、現れ、その度に闇は青と漆黒に塗り替えられる。
冷たい風に髪をなぶられながら、だが青年は天を仰ごうとはしなかった。


泣き疲れた幼い魔道士たちの眠りを確かめた後に、彼は1人でこの地を歩んでいる。
つい先程まで青年はあの月にいた。
生きて戻れる保証のない、けれど負けるわけにはいかなかった戦い。
暗黒を切り裂いた光の具現者が彼であるはずだった。

自分は何のためにここを歩いているのだろうか。
肉体は疲れ果て、するべき事は大量にあるというのに。
両足は、当然であり自然なはずの考えを無視するように進んでいく。

かつて幼い子供が消し去った炎の壁の跡。
今は亡き老賢者と再会した岩場。
自らの無力もが敵となった架橋。

夜霧と白い呼気とは見分けがつかなくなっている。
天頂から途切れがちに降る光を受け、霧は景色を白濁させる。
濁った景色は銀の髪を湿らせ、記憶をも濁らせる。

霧。
霧の洞窟。
その先には炎を恐れた少女。
炎を恐れた、もう一人。…今の、この闇のような漆黒の。
自らの剣が斬りつけた、あるいは自らがなりえた黒き甲冑。

再び風が吹く。
山頂まで歩き続けた体を冷やされ、とりとめもなく続いた思考から意識が戻る。
長衣をかきあわせ前を見ると。

そこに祠があった。


無意味とはこの事なのだろうとぼんやりと考える。
辿り着いたこの場所で何をするでなく、語るべき言葉があるでもない。
扉はもはや開かれるはずもなく、あの声は語りかけてくる気配もない。

あの時から何度も自分に言い聞かせていた。
自分の判断は「正し」かったのだと。
例え共に来るように願い、聞き入れられたとしても、その先にあるのは理性と感情との戦い
─ 苦しみ ─
に違いないのだから。
多くの者にとって。願った相手にとっても。

そして、自身はその出生を隠す事を決めている。
明らかにすればそれも苦しみを生み出すのだから。
世界はやがてこの戦いを伝説にするだろう。
暗黒の具現である黒き甲冑と、それを討ち果たした聖騎士との戦いとして。
それで構わない。
世界は再建と未来への歩みを進めるべきなのだから。
そう、それでいい。それが「正しい」判断。
………けれど。

冷たい石の壁は霧を集めて水滴を宿し、淡い光は頼りなげに揺れる。
ふり向くと、霧をまとった月は雲に閉ざされはじめていた。
無意識に腕がさし伸ばされる。雲を払おうとするかのように。
だがその行為は何らの意味も持たず、光は更に弱く、弱く──。


長い、長い時間をそのまま立ち尽くした青年の肌に水滴が落ちかかる。
霧の粒子が成長したかのような細かな雨滴が音もなく。
祠は手に触れるが温もりを持たず
月は目に触れるが思いが届く事はない。

何かを言おうとして口を開き、そのまま飲み込み、唇を強く噛み締める。
「正しい」判断の結果がこの虚しさか。
無機質な祠と届かぬ月。
刹那と呼んでもいい「肉親」の形見は自らの胸を抉るだけと自覚した、その瞬間。

顔が歪み、剣が逆手に抜かれ、満身の力で祠へと突き立てられる。
金属と岩壁の、耳障りな悲鳴。
噛み切った唇からは赤い鉄の味が流れ込み、それに透明な塩辛さが混じりこむ。
正義も、正しい事も、今だけはどうでもいい。
「肉親」を知ったばかりに本当の意味で「孤児」となってしまった自分。

夜明けには戻らなくてはならない。
彼女と、仲間と、親友に心配をかけないように。
いつもの顔で、皆と「勝利」を分かち合い。
そして自分は「英雄」の役を演じきろう。

夜明けまでは──この雨が続くよう。
この雫が雨滴だと思いこめるように。
雨音がこの嗚咽を消してくれるように。
自分が泣いている事を、自分にさえも知られないように。


雨は音を増し、全てを覆う。
世界を守るために偽る事を誓った騎士を。
己の心を隠すと決心した青年を。

やがて離別するであろう、月を。

初出は「Cecil Fan Club」のフリー投稿BBSに同題で投稿したもの。
今回自サイトにあげるにあたって細かい所を微妙に手直ししています。

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