私は商業高校出身ではないが… 1991年の12/30、
私はFINAL FANTASY IVに出会った。

2001年の07/19、
FINAL FANTASY IVは10周年になった。

…さて、何を語ればいいのだろう。

気がつけば、10年になっていました。
気がつけば、12才だった自分は22才になっていました。

考えてみれば恐ろしい事ですね。
何とまぁ、俗に言う「思春期」とやらを共に過ごしたのがFF IV(笑)。
セシルを「なりたい自己の偶像」とした事は善くも悪くも私の現在の人格に影響を与えています。
「偶像」、まさにその通り。
22才にもなれば自分の性格は自覚できるようになりまして、私は彼らのような強さはきっと得られないだろうと認識してしまった以上、ついに、というか、ようやく、というか、今の私は彼らを「人間」として見る事はできなくなってしまいました。
だから私の絵は彼らに人間らしい表情を与えないのか??(笑)

1997年に「彼らにも少し醜い所や足りない所があってもいいかな」と述べておきながら、今さら彼らに対して認めていない部分があった事に気がついたのは今年になってからでした。
原作中で言及されている「2人」たちの性描写を見るよりも、言及されていない、つまりパロディにおける「2人」たちのそれを見る方が気楽だという認識です。
「これは架空の事でしかないんだよ」という事に対して安心するという事は、あくまで彼らの「性」は私にとって「記号的な性」であって「肉体を伴った性」ではない、という事かと。

1997年のトークでは「理想込み」の強さを持つ存在として描かれた彼らをそれでも「人間」として認知しようとし、2001年には彼らの「人間臭さ」を認めながらそれでも「偶像」と言い切る。
これは「成長」なのか「諦め」なのか?
もちろん、それでもなりたい自己の理想としてそうあろうとし続けますよ 。
例えそれが偽善に過ぎなくても。

9周年トークでも述べましたが、私は今や「fanatic」(狂信者)ではないのでFF IVに対してそうそう感情的になる事はありません。
他人に「FF IV、絶対いいから〜」と意見を押し付けるのは好まない。(好き嫌いの激しい作品だと思いますしね)
他人に「FF IVなんてつまんないから〜」と意見を押し付けられるのも好まない。
ただ、周囲が忘れてしまっても自分は忘れたくないと思うのですが、
………その前に忘れようったってもう無理だろう!!(笑)

「そんな冷めた見方して楽しい?」とか聞かれそうですが、別に楽しむために好きになったワケじゃないも〜ん♪フンフフーン♪

それはともかく─

時間は勝手に流れていくものだから「10年経ったから」おめでとうと言ったわけではありません。
10年経っても「皆がFF IVを好きでいたのが嬉しくて」おめでとうと言ったのだと判りました。
11/23にお茶の水で開かれたFF IVファンの集い(笑)『Crystal Parade』に参加して、しみじみそう思うようになりました。
…個人的には、それまで大変な思いをしてきたスタッフの皆さんを押し退けて出しゃばった当日の自分を断罪したい思いなんですが(謙遜じゃなくて、本当にあの所行は何様のつもりだ!?)、とにかく参加者の中にミーハーがほとんどいない。キャアキャアした感じというよりはわいわいとした感じ。実は帰ってからこっそり泣いてみたり(実話)。

2001.12.08 written by Subaru

=戻る=