好き。でもファンではない。

きっとFF4ファンの方はこれを読んで不快に思われるかもしれません。

ここのトークではしつこいほど「私はfanatic(狂信者)ではない」と述べています。
「好きという感情と、作品に対する評価が混同されている」のがfanaticだというのが自分の中での定義なので。

私はFF4が好きですが、おそらくFF4ファンではありません。ファンというには私のFF4への目線は冷淡すぎます。

今私が知りたい事の1つは、1991年当時20代半ばだった方がFF4のストーリーをどう思われたかです。
当時私は12歳で、ストーリーではなくキャラクターが好きでした。10代半ばを過ぎてストーリーに興味がわきました。じゃぁ今はというと、「今初めてFF4に出会ったとしたら、私はFF4(のストーリー)を好きになっただろうか」と自問しているんです。

端的な所では、ギルバートに対する「悲しいのは君だけじゃない」というセシルの台詞。1991年当時どうだったかはわかりませんが、少なくとも現在(2004年)の日本でこの「他人も大変なんだから自分も我慢しろ」という強制は受け入れられないでしょう。それと関係するのかは謎ですが、2001年に英語圏で出たFINAL FANTASY CHRONICLESではここの場面の台詞が「王位継承者として民に責任があるだろう、務めを果たせ!」になっています。
そしておそらく誰しもがツッコんだであろう、多すぎる自己犠牲とご都合主義的で明らかにムリのある復活。
成人の目からすれば、FF4のストーリーは明らかに都合が良過ぎます。(子供だましと言っていいかも知れません)

もしゴルベーザかカインのどちらかが純粋に自分自身の意志で悪役になっていたら、もしゼムスの存在に関して伏線がもう少しあれば、もし犠牲となった人物たちが復活せず、犠牲に対して主人公が(自他問わず)責められれば、ストーリーのご都合主義感はもう少しやわらいだかもしれません。

私はFF4のストーリーを自分の中で改変するつもりはありません。それは私なりのFF4への敬意です。ですがストーリーに対して矛盾や破綻を感じていますから、FF4に対する酷評は(個人的には悲しくて読んでいて辛いけれど)正しいと思う事も多いんです。
(ストーリーを改変なさっている方に対しては、それが作品への愛からなら全く不快に思いません。どうか誤解なさらないで下さい)

時々怖くなります。
このサイトは自分にとって「愛した故人の遺品処理」に近いものなのではないかと。
愛しているとしても「過去」になってしまったんじゃないかと。
「この作品を好き」という感情が近いうちに消えてしまうのではないかと。

だからこそ、「FF4が好きだ」という方にお会いできると泣きたいくらい嬉しいんです。

2004.05.16 / written by Subaru Takeshima


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