FF IV9周年によせて

くぇ〜けけけけ、くぇ〜けけけけ、……がぁ。
…というすさまじいCFを覚えている方、いらっしゃいますか?

2000年7月19日。FF IV発売9周年になりました。

学校関係の(児童作成の)冊子などでキャラを目にしてはいましたけれど、そういう形ではなく初めて「FF IV」を見たのは1991年12月も終わろうという頃。友人の弟がプレイしているのをハタ目にしていたのが最初だったと思います。
周囲にゲーム同人の友人が多かったのも影響してハマったゲームですが、まさか9年も「the best」の地位を保ち続けるとは自分でも知るよしはありませんでした(笑)。

それにしても、息が長いです。何と言うかもう私の精神の一部と言っていい気さえします。
「彼ら」もどっかり居ついてしまっていて、いるのが当たり前であるかのように。
3年前に発作のように(笑)描きたくなって自己満足的にコピー誌を作った事があるのですが、その本の7/19に書かれたトークを読み返すと……。

今日、'97.7/19(土)でFF4発売6周年になりました。小学校6年生の時に会った物を高校3年生の今でも好きでいるなんてFF4だけです、私は。今は7が全盛期で、そこに7をプレイしてない私はもしかしたらFFファン失格なのかもしれないけど、でも4が好きなのは本当。

12歳の頃はセシル達を「キャラ」として、ある意味で神聖視していました。醜さを認めなかったというか。
今、彼らと2、3歳しか違わなくなって、彼らにも弱さとか醜さとかがあってもその方が自然だなと考えています。単に自分が幼い(彼らに比べて)から向こうを下げて差を埋めたがってるだけなのかもしれないけど、物語の人物って願望から生まれるというか、大抵「理想込み」だから現実より強い事が多いから。少し醜い所や足りない所があってもいかな、と。
──まぁ、所詮架空世界の住人に「人間臭さ」を求める事自体バカげてるのかもしれないし、まして彼らを「人間」として見る、人格を認めている私は社会的に愚かな人間だと自覚していますが、それでも私はFF4のファンをやめられないんです。本当に大バカですね。

歳がバレたけどしょうがない(苦笑)。原文を未加工で出しましたが、この文章で事足りちゃうんですよね、今も。結局この文章から3年たってカインと同い年になっても彼らより幼い自分がいます。

あるいは、もう「ファン」ではないのかもしれません。
「ファン」という語が本来「狂信者」の意である事を考えると、そこまでの熱狂性はありませんから。「子供の頃好きだった童話を大人になってからも時々読み返している」位の感覚でしょうか。

VIIとIXはプレイしていませんので「ゲーム」としてのFINAL FANTASYの評価はできない身ですが、「ファンタジーRPG」としてのFINAL FANTASYはIIIが最高傑作だと思っています。IVはあまりに1本道で、端的に言ってしまえば1回クリアしたら後は何度プレイしても同じパーティ編成、同じ台詞、同じ結末。

なのに何故9年も忘れずに、「いる」のが当然となる位に私の中に存在しているのでしょうか。
1つだけ確かなのは、私はFF IVを「ゲーム」として見ていないであろう事。1本道であるが故に「物語」として印象づけられているのでしょう。彼らについても「ゲームのキャラ」というよりは「物語の登場人物」と表現した方が私にとってはしっくりきます。
昔から今までこだわり続けている場面が「さよなら‥‥兄さん‥‥!」。いつか描こう、いつか描こうと思って、いざ描く段になると「もう少し絵が上達したら」と退いてしまう場面。その場面についての解釈はキャラ紹介のゴルベーザの段で述べていますが、数日前にたまたま見つかった8年前のマンガのボツ原稿に全く同じ事が書かれていて、すっかり忘れていた本人は正直ビビりました(笑)。当時からそこだけは考えていたのね(笑)。
来年、10周年の時こそ描くかもしれないけれど…また退くかもなぁ…。

2000.07.19 / written by Subaru Takeshima


=戻る=