私の人物イメージは一般的ではないらしい…

どうも、私の解釈におけるセシル・ゴルベーザ・クルーヤのイメージは一般的な物から離れている…いや、むしろ正反対と言っていいようです。
まぁ、「こんな見方もあるんだよ」という例として読んで下さい。個人的なイメージに反論されてもツラいものがありますので(笑)。

実は、ウチのセシルは「闇」の属性です。
「光=善/闇=悪」という構図が好きではないので(だからIIIの世界観は大好きです)こうなったんですけれど、 ぶっ飛ぶ人も多いだろうなぁ(苦笑)。

そもそも、クルーヤから「最後の意識を光に変えて」敬承された事でパラディンになっている。ミシディアの長老に「輝きの欠片が見受けられる」と言われてはいるものの、「与えられた光」でもって光の側に移っているとはこれいかに?
この疑問がきっかけでウチのセシルは闇の存在になったのでございます。

勿論、ダークフォースを受けた暗黒騎士という身を光に転じさせるため、という反論はあるでしょう。そして多分その反論が正論なんでしょう。
しかしウチの(あくまで「ウチの」)セシルは光の存在というには余りに静的です。
闇の持つ属性が「未知・安息・活動停止と力の蓄積」であると思っていただければ、私が「セシル=ハーヴィ」に抱くイメージに近いかな?と思います。

光と闇を同時に抱える者。夜明け直前の闇、月の光を受け入れる静けさ。

2000.12.26 / written by Subaru Takeshima


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