大いなる鯨(魔導船)

これがFF IVのディテールに取り込まれた事自体に大した理由はないだろう。単にピノキオのオマージュだっただけかも知れない。
しかし「主人公たちを胎内に入れる鯨」には神話学的に意味がある。

さすがに以下は私見ではなくアメリカのジョーゼフ・キャンベルという神話学者の対談録『神話の力』から。
聖書『ヨア記』では主人公が鯨に飲み込まれた後に再び地上に帰ってくるが、これは死と再生の変型である。
鯨は巨大な海獣であり、胃袋というのは食物を消化し取り込む場所である。海や水は「無意識」の象徴であるから鯨の腹とは混沌とした巨大な無意識のエネルギーの象徴。そこに飲まれ生還するというのは象徴的な「死」の後、力のコントロール(無意識の制御)を獲得し復活する「生まれ変わり」を指すという。

このモチーフが違う形をとったのが「リヴァイアサンに飲まれるリディア」といえる。
リヴァイアサンに飲まれたリディアは文字通り「この世ならぬ世界」にその身を移し、戻ってきた時には完全な召喚士という力を身につけている。
また、母を殺したセシルに対して複雑な感情を持っていたであろう彼女が「これは皆の戦い」と(アスラに諭されたフシはあるものの)個人的感情を制御(克服?)しているのも注目できる事である。

また、以下はソ連(当時)のウラジーミル・プロップによる『魔法昔話の起源』から。
あの世(超常的な力の世界)の概念が「近くにあるが見えない場所」から「どこか遠くの場所」に移り変わった事から鯨の役割も変わったとプロップは指摘する。
かつては主人公を飲み込んで(その場で)吐き出したものが主人公を飲み込んでどこか違う地(あの世:超常的な世界)へ連れていく事が「主人公を飲み込む鯨」の役割になったという。

おそらくそういう昔話ないし神話があるという事なのだろうが私は残念ながら実例を挙げられない。不勉強で申し訳ない…。
しかしその変遷により「移動手段としての鯨」というモチーフが登場したという事であり、すなわち「もう1つの月」はこちら側の世界とは違う、超常的な力が支配する世界だという事である。

キャンベルの説に関して言えば、死んで生き返った者は「生まれ変わる」ため、「死ぬ」前の状態には戻れない。(ピノキオは人間に変容し、ヨアは神への忠誠の度合いが変わる)
リディアはもはや「ミストの村の女の子」には戻りえず幻界の住人となっている。
あくまで私個人の考えだが、彼女はもはや人ならざる身に変容したのではと思うのだ。(エブラーナに嫁に行ってほしいけどさぁ!)


【参考資料】
・大学の講義ノート
『神話の力』(ジョーゼフ・キャンベル &ビル・モイヤーズ/邦訳版:早川書房、1992年)
『魔法昔話の起源』(ウラジーミル・プロップ/邦訳版:せりか書房、1983)


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